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ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます~!大変励みになりまくりです……!!
重ね重ねのご支援、まっこと感謝感激です!!とっても嬉しいですッ!!!
前任の使者が殺されたと分かっていながら「次はお前が行け」なんて大変なお仕事ですね
しかも2回殺されているというね。「あんな蛮族の地に行くのはヤダ…。遠いし、海荒いし」って思ったんやろなあ
Thanks!
いつもご支援いただき感謝……大変感謝しております……!!それはもう大変励みになっております!!!
こんな事件初めて知りました!いつ興味深い動画供給有難うございます。いつか鳥人間さんの解説で九子奪嫡など拝聴したいです。
全く知らなかったです。勉強させていただきました。それにしても、足利義満よりも前に明と通航して、しかも「日本国王」を僭称したのはいったい何者だったのだろうか?懐良親王の名を騙った以上、朱元璋と南朝勢力との交渉を知っている人間であることは間違いないのだが…
どこを切っても関連動画が出てくる大きいチャンネルに育ったなあ
ホント。「夏王朝なんて無い」から見始めた身としては感慨深いです。
それは、ようつべ(というより裏に居るグーグル先生が)せっせとアナリステイクして貴方向けにカスタムした結果かと。私も同じですけども😊
違うか、動画コンテンツがたくさんになったねーという古参の方ならではの感慨ですね。なるほどにわかは反省します😅
この状態から日明貿易復活させた足利義満はすごいねえ
でもしょっちゅう倭寇対策迫られてましたよ。
明で二人の皇帝候補が争ってるって情報を聞き取った時、どちらが皇帝についても問題無い書状を持っていかせたというのは、あるいは本邦で南北朝で争ってた経験から思いついたのかもね。
足利義満の外交的成功は明側の兵乱が幸いしております。靖難の変で血筋が正統の建文帝から帝位を簒奪した永楽帝にとって、自らの権威付けや正当化が最大の課題でした。そんな時に日本の王が”永楽帝の徳を慕って”使者を派遣したことが永楽帝にとって僥倖でした。これは両者にとって美味しい話でした。日明貿易の巨利の為に外国の君主に頭を下げた義満と、朱元璋の遺訓を無視した永楽帝。両者とも利に聡い者同士で上手くいったようです😅
後、当時の明が没落寸前だったのも大きい。そもそも大陸王朝が安泰なのに必須事項に『日本との交易』が有るからな。
@@浅井優也没落寸前なのに、それから200年以上も続いた凄い王朝、それが明。
朱元璋意外に忍耐強い。フビライだったら絶対日本に軍隊送ってたw
それ思った
知識人粛清しまくった農本主義者だし、対外進出それ自体を可能な限り避けたんじゃないかと
朱元璋不喜欢征服领土,最初朱元璋甚至不想要云南,是云南梁王骚扰明朝,朱元璋才征服云南。朱元璋对琉球也没兴趣。
@@schimitch3277なるほど🫡
元の使者も二回ほど斬られています。1回目が全員殺されたため情報が伝わってなかっただけです。
ひょっとして最後の使者こそ、追い詰められていた「本物の南朝側の使者」だったのかも・・・。それ以外は相当な詐欺師と思われますね。
普通に良懐=懐良親王だと思ってた…!そんな時期のズレがあったんだ……😱
倭寇なんとかしろって言われても倭寇を称する海賊もいたし、南北朝両側も困ったろうなあ
真倭が3割、偽倭が7割でしたっけ?そんなに偽物がおったら室町幕府が全力上げて倭寇討伐しても成果は難しいでしょうね。
そもそも仮に倭寇とやらが全部和人だったとしたって体制に従わないか従うフリしてこっそり賊行為してる田舎者なんて近世以前の統治体制で完全統制できるわけねーだろってハナシというか大明様だったら自分とこの民のあらゆる違法行為を完全取り締まりできんのかよやってみろオイってハナシ
セリフで1869年となっているところがあり、年代をいうところのいくつかは1800年代になっています。1300年代ではないでしょうか?
カオスすぎておもろい
【誤作動でうっかり削除してしまったので再掲。コメント、いいねくださった方々申し訳ありません。】ついに林賢に死刑判決が下った!一方、懐良親王は明の権威によって発動する「日本国王」の称号を得る。そして、明史に残された「良懐」の秘密とは!?次回、明史太祖本紀、「胡藍と海禁文字の獄」、おたのしみに!!
まさかここでカフェde鬼の歌詞(?)を見ることになるとは
【続き】こいつは背骨の無い男(皮剥草詰)(ハァ〜無い男ったら無い男(直球))聖賢豪傑盗賊だ(バンバラバンバンバン!バンバラバンバンバン!)女はすぐさま諫言し(う〜ん馬皇后!)ウンジャラハゲジャラ食べチョロゲだんちょね〜(思考放棄)脱中(華)の(冊封体制から)(しかし義満は日明貿易でちゃっかり利益を)ゲッツ!今メシを喰ったもうハラが減った今はちっちゃな鬼だけど、いつかは立派な鬼になる北虜襲って命を奪い 生き血をすすって聖天子まだまだ醜男な俺だけど いつかは立派な美形顔群雄襲って露払い 儲けたマネーで民力休養沛にはカラスと飢饉が多いから安徽のお寺(皇覚寺)に潜伏中なのだ(口減らし)ベランダづたいにお出まし錦衣衛(未来予知)金毘羅船々「道」「光」書いたら修羅の群れ(ハァ〜修羅シュシュシュ(凌遅三千刀、滅九族))今メシを喰ったもうハラが減った今はちっちゃな鬼だけど、いつかは立派な鬼になる孫(建文帝)の夫婦のいとなみを 冥府の底からアドバイスまだまだちっちゃな箱(大明帝国の領域)だけど いつかは絶対ディナーショー(成祖盛世)南倭襲って焼き払い 小脇に盗んだプランター(筋兜)あしたもおたのしみに!(南明覆滅)
もうだいぶ前に奈良の国立博物館に行った時ちょうど日本と寧波との関わりをテーマにした展示やってたなー10年ぐらい経つかなぁあの展示は面白かった
日本国王良懐なる者の存在がそこそこ不気味で興味深い
みんなの欲が集まって生まれたバーチャル日本国王なんじゃないかな。
良懐を逆さにするとあら不思議…
動画を見て初めて知った「日本国王良懐」がいったい何者だったのかがとっても気になるところです。日本の南北朝の時代は京都と奈良(吉野)の対立のみ語られているところですので九州での対立はどうなっていたのか、改めて調べたくなりました。
筑後川の戦いなんて当時としてはものすごい大合戦なのに知名度ないよね
筑後川の戦いで勝利した懐良・菊池勢力が大勢力となり、それと睨み合う小弐、大友、島津の地方豪族、最後に京都から派遣された九州探題今川了俊が九州いりし、各勢力が入り混じり最終的に今川了俊が一応平定した流れですね。
一度は尊氏すら、鎮西(九州)に落ち延びてますからね。
@@dauny08細かいですが、了俊ですね
@@Yosakoi_akiko ああなんか書いた後違和感あったのそのせいか。なおしときます
いつ自己紹介のレパートリーが切れるか密かに楽しみにしてる
後年に明がそんな頻繁に朝貢くるなって言ってるのに来ちゃう日本や、異国なのにどちらが本物か喧嘩しちゃう大内と細川なども彷彿させられる事件だなあ。実は最初から明はナメられっぱなしだったのかw
まあ当時の日本人が怖いもん知らずだっただけかもねwしっかし明から見たら完全に「蛮族」だよなあ
15世紀半ば規定以上の回数と規模で朝貢してきたオイラートを抑えるため親征した英宗が野戦で捕虜になるという土木の変という中国史上、前代未聞の出来事に懲りたのが大きいのでしょう。
何か下手に出たらめちゃくちゃ金くれるぜこいつらって足利義満が思っていたのは間違いない冊封されてるが舐め気味
今回も興味深く拝見させていただきました。日中関係史なかなか楽しいですね。漠北や越南などと外交史にも触れていただけると幸いです。
明「ド田舎(日本)行ってらwww」日本「田舎って言うな」っていう新しい嫌がらせかと思った
この流れで寧波の乱の解説も聞きたいです。
一色、今川、菊池さあ良懐を名乗った男子先生怒らないから手を挙げなさい!え、直冬、、、まさかおまえが⁈
義経テムジン説の次はこれでおなしゃすw
我が国の伝統的外交スタイルは… 使者を斬る! しかし、明の太祖があそこまで我慢強く辛抱していたなんて知りませんでした。
明も日本もお互いに相手の実情を知らなさすぎというよりその努力さえしてない。まあ南北朝期の日本にそれを期待するのが無理ということか。
そんな動乱期にも相手情報をきっちりキャッチしてる義満っちゃんとかいうボンズのえぐさよ
やっぱり朱元璋は粛清しまくっても問題ないくらい能力が高すぎたんだろうな。やりすぎと言われるが悪は悪であったわけだし
>寧波個人的にはフランスのカレーと同じくらい「いつの文献にも出てくる港町」のイメージ
明王朝が出来た頃、朝鮮も日本も大混乱していた時代で、こんな事をしでかしていたのですね。。知らなかった。。。また「方国珍」という人物も初めて知り、すごく興味深いと思いました!是非、「方国珍政権」についてもいつか動画を作っていただきたいと思います🙏✨
12:54 1869年良懐・如瑶の不遜ぶりへの対応と 懐良親王の使者への対応の対比が良い
中華思想の中心地で粛清皇帝から官憲にいたるまで激怒させる無礼(中華基準)な態度をとり続ける如よう強すぎる
朱元璋の予言は当たっているな、現に足利義政は貿易の利益を得ようとしたら超えてしまい規制されてしまったからな。
中世日本人の図太さは異常そりゃあ足利直義や細川持之みたいな真面目な人は苦労するわ
謎の日本国王、一体何者なんだ?
一休さんのあの将軍😂
「懐良親王が使者を斬ったことに朱元璋がブチギレて日本征討を計画した」くらいのガバガバ認識だったんですが、一度は国交が結ばれるも動乱の中でお釈迦になってたりと、双方の直接のやり取りだけじゃなく国内事情がかなり影響してるんですね
海上の商人団は海賊に襲われても戦えるよう武装していたけど、逆に自分たちより弱そうな商人団を見つけた時には自分たちが海賊になっていたからな・・・。
国自体海賊みたいな、シュリービジャヤという国ありましてね…
政敵を外国のスパイとして処刑するのは割とあるあるですよね。あの中華史のレジェンド朱元璋にここまで日本に関心もってもらえてなんか嬉しいと感じるのは私だけでしょうか
日本に流罪がガバガバ過ぎませんか?
いやコレ、普通に考えて "日本国王良懐" は海賊のなりすましでしょ。如瑶も正式な僧侶とかじゃ無くて、海賊仲間で弁が立つヤツが頭を丸めてコスプレしてただけでしょ(笑)。そういう視点から掘り下げて見れば、何か面白い歴史ドラマが作れそうですね。
後の時代にやったやつが結構いるからねえ
林賢が倭寇だとして襲った日本使者帰廷用(これが日本人の名前?)の船も、実際倭寇の船だったんじゃないの?とか思えますよね
あの朱元璋が山師に振り回されてて少し笑う影響受けた庶民は堪ったもんじゃないが
そんな時期にウチに海外大規模工作するほどの国力ねぇよ^〜
お疲れ様です、全く知らない話で面白かったです。私は良懐=倭寇の一派が一番すっきりするかな、でこの倭寇も結構根深いものになっていたと。明初の情報不足がいろんな誤解や混乱を招いて結果こういう話が生まれたのでしょうね。しかし今回も朱元璋バリエーションが凄いものですね(笑)まだあるのでしょうか?(笑)
倭寇の一部は、南朝方の西国大名が軍資金を得るためにやってた側面があるので、菊池とか九州の領主の部下とかじゃないか態度悪すぎる外交僧とか人材としてレベル低そうなのも、しょせん田舎大名のお抱えと思えば符合するし
良懐は 今川了俊説,島津氏久説があるようですね
日本から見た日明貿易に対して知りたい人は餅は餅屋で日本史系の動画見ると良いかと太田うしいちさんの明対義満あたりが詳しいかと
いやここはしかかくさんの大内義興7作を参照すべき
いやいや、お二人とお仲間の、右京大夫政元さんの『寧波の乱と貿易戦争』もなかなかのものです😚
全部見ろ
@@Yosakoi_akikowww
激怒する朱元璋という(物理的)パワーワード
万历朝鲜战争时,明军俘虏了很多日本人,刘綎手下就至少有500日本人,参加了平播之役。
明視点でのこの「史実」はさすがに予想外。とても面白かったです。日本国王良懐かあ
正直よく分からない事件ですね。良懐なる人物は一体何者なんでしょうね。
こういうのを見ると、良くも悪くも史書を疑う目が養われるね。もっとむかしの魏志倭人伝だって、さも筆者が日本を見て来たかのように書いているけど、たぶんみんな又聞きなんじゃないかとも思う。「日本のこと調べて書け」って言われて、わざわざ本人が日本を訪れたりすると思えない。どうせ下っ端に言ってくるように命令して、下っ端も適当に行ったふりして、実際は行ったことがある人に話を聞いただけだったりして。
そもそも正史というか、二次史料というのはそういうものだ。「三国志」編者の陳寿は、卑弥呼からの使者が魏の明帝に拝謁したとされる238年にはたった5歳であり、実際に関与出来たはずがないのは明らか。三国志にとって倭人伝など枝葉末節もいいところだけど、本編である三国鼎立の経緯も陳寿誕生前の話なので、情報源は陳寿自身の見聞ではなく、宮廷の記録や関係者からの聞き取りになっている。そういうものだと割り切って読めばなんの問題もない。
朱元璋が挑発されて激怒した話は、何故かわろてまう。😂
あの朱元璋に怖いもんなしの当時の日本の人々。てか朱元璋ってやっぱ元来我慢強い人なんやなって
そもそも、室町幕府は全国への統制力がとても弱い政権だった(初代将軍足利尊氏が自分に協力してくれた者たちに対して恩賞の領地を大盤振る舞いをしたため、地方の守護大名の力が強くなりすぎてしまった。)上に、南北朝の動乱の真っただ中だったため、当時の日本に倭寇の取り締まりをする力は無かったと思われる。室町幕府自体は倭寇を取り締まる意思はあったらしいが、無いものは無いのでどうしようもない…。しかも、この時代日本国内の治安も最悪で、無法人が大量にいた(有名な『二条河原の落書』に京都に限定しても無法人が大量にいたことが伺える。)ので、海に出て海賊行為を働いた無法人も大量にいて、彼らが倭寇となって明や朝鮮の沿岸部も襲ったという事でしょうね。また、日本側としては「日本と中華王朝は「対等」であり、朝貢はいいけど、頭は下げないし、冊封も受けない。」という立場を取っていたので、周辺国と中華側が上の君臣関係を結ぼうとした明と大きなすれ違いが発生していたと思います。(そもそも、皇族である懐良親王が明の冊封に応じたという話も怪しい。あまりにもしつこいので、適当な事を言って、冊封を受けたという事にしてやった可能性もある。名前も良懐と間違えてるし。ちなみに、明史の日本伝は日本側からすれば無茶苦茶な間違いばかり書かれているらしい。)
明王朝、またの名をアジア系ハプスブルグ
ハプスブルクの顎をしてるから間違いない
long long ago…
アゴしか見とらんやんけ!
アゴヤバいのは初代だけなんだよなあ…
@@すずのすけ-j1k巨Chinなんだよなぁ
楽しく語っていくぞォ~➡で明初が出るあたりもう血の匂いがする
学校では絶対に教わらない、貴重な歴史・・・もうびっくり😳😳😳
動乱の時代終わった割にはその後も内輪でごったごたしとるよな日本
永楽帝「太祖の祖訓か…」ちょくちょく年を間違えてるけどうっかりなのか疲れが溜まってるのか…
魏志倭人伝の記述から、ガチに邪馬台国論争をやってる人たちのことが、とても心配になります😱『俺の青春、俺の人生は一体、なんだったんだ!!』
寧波…あの秀吉が大阪の次に本拠地に狙った場所ですな
今時のニューヨークみたいな場所かな
13:00辺りの明の使者と懐良親王の話、日本史で必ず出てきますねー中国史側で聞くと新鮮で楽しい
天下のNHKによると「卑弥呼の邪馬台国は呉を攻めることを期待されたので日本国王に任じられた」らしいから、南北朝日本が明の転覆を企てても何もおかしくないな(白目)。
その呉の方も同時期に日本を目指して軍勢派遣してるのが面白いな。
@@nekono_mimikon まあ、呉は強力な水軍を持っていて、海路で公孫淵に1万の友軍を送ったりできるくらいでしたからね。そんな呉ですら、日本(台湾?琉球?)遠征は大失敗してるんで、それだけ海外遠征は難しい。
@@とまにゃ遼東に軍船派遣するぐらいだから徐州や青州の沿岸の漁村なんかはしょっちゅう掠奪されてただろうね
お前達、何者だ!僧だよ(便乗)というやり取りがあったのかもしれない()
朱元璋、かなり我慢してたのに報われたなかったのがかわいそう
沖縄の伝説的パンクバンドの名前の由来となった歴史的事件ですね。ローザルクセンブルクとか遠藤ミチロとかクレイジーリンケンバンドとか(マンデラエフェクトかな
明の豊臣秀吉に関する記録もすごいんたよナア
当時の日本人フリーすぎるな
三国志演義とか見てると南蛮民族や北方騎馬民族の無礼さにイライラしてくる事あるけど、なるほど…見方を変えるとこれは洪武帝が日本に対してイライラするのが良くわかるわw
反面、礼を要求する中国がかえって「無礼」と、匈奴など歴代遊牧民は見てましたよ。
@@FREEDOM-vv3wu すれ違い〜〜
@@FREEDOM-vv3wuなるほど、価値観のぶつかり合いですね
やっぱビックマム馬皇后の慈愛によるところが大なのかな忍耐忍耐断交
初めて朱元璋を可哀想と感じた
1:28明代初期の1836年 ?
ご指摘いただきありがとうございます!大変助かります!
まってた
大塔宮(護良親王)といい、南朝の後醍醐天皇の皇子は大半が反逆だらけ(ただし北朝に行ったわけではない)でしたね。
私は日本史もしらなかったーすごく楽しかった、日本国王、倭の海賊、すごすぎでした。ありがとうございました。
オレオレ詐欺みたいな貿易だなぁ……
12:51 これは明治2年
この顛末を知って、朱元璋が忍耐強く感じられました。それと、日本に流罪は日本人の立場では奇異に感じます。でも、時代劇でしばしば聞く「江戸十里四方所払い」を思い起こせば、然程不自然でもない気はします。
「宋人街があったのは有名ただよな」「ほーん(はなほじ)」
理系の世界史Aでは明は飛ばしたんだよな😥
もしも南朝が明と組んで、足利方を倒したらすごかっただろうなぁ
現代でもニューアーク市と姉妹都市契約結んじゃった偽国家“カイラサ合衆国”の例があるように、国家間の関係も割とガバガバだったんでしょうね。
(今の)日本人には結構な人気者の朱元璋だけど、バキバキに日本を嫌ってるのが面白哀しいですね。
朱元璋の怒りの表情と笑顔の表情を見てみたい。どれほど差があるのか⁉️日本国王、無礼だなぁ(棒)
やっぱり朱元璋はキリングモードの時が本領発揮していいる
りんけんバンドの『照屋 林賢』が出てくるかと思ったら出なかった。
流石に不謹慎かとw
ですね、ハヤシケンのところに林賢さん貼って欲しかったやいびーんな
馬皇后「日本国王を許してあげて!」
怒らせちゃダメだ
中国で動乱が起きてる時に、日本でも動乱が起きてたんだな。これがシンクロニシティ
気候変動が遠因になって動乱が起こったりもするので、それが世界的規模のものだったりすると東洋と西洋で同時期に大規模な動乱が起こることだってあるんですよねえ単独の事例がそういうものでつながっていくと面白いです
@@mgnt16有名所だと、ゲルマンの侵入と西ローマの滅亡五胡の侵入と西晋の滅亡は構図がよく似てるみたいな
晴海トリトン近くで居酒屋やってますんで飲みに来ておくれやす(笑)
「林賢事件の真実」民明書房刊
何!?知っているのか、雷電!!
Pirates of the East China Sea Ep1 皇帝の陰謀
突っ込みどころだらけで…言うのも野暮ですが、雲南に送られた日本人精鋭400人は、その後どうなったんですか?
どうなったんか気になりますよねえ。「とりあえず雲南送りってことにしとくか…。実際来てないけど」みたいなかんじで作り話したんかなあ
15:00 このあたりで鄭和が渡来してたと思われる
良懐って、どこの正式代表というわけでもなく、精々一介の大名か、それに近い勢力があった倭冦が日本国王と偽って明に入貢してたんじゃないのかなという気がします。
なんか、それに関して思い出したのが、正統竹内文書の武内睦泰こと「ムッチャん」が「これ嘘だと思うんすけど、うちの文書(室町初期)で良懐って懐良親王でさらに懐良親王って対馬で海賊してたらしいんですよね。倭寇の収支報告がうちの家にあるんすよ。絶対偽物かもしれんけど、」と言ってたな。
南北朝時代と云う乱世であれば、「日本国王」を偽ったつもりはなかったかも知れません。「日本国天皇」を名乗ったのなら偽りでしょうが。
薩摩も琉球を利用して密貿易してたし、中国からの輸入は儲かったんだろうな。
いくら内戦中とはいえ滅茶苦茶な外交し過ぎでしょ日本さん…結局良懐さんって誰なん
漫画ラノベアニメ早よ😅
懐良親王が江戸末期までタイムトラベルしていたとは😮
1869年!!そうか!!懐良親王様は幕末にタイムスリップして九州を治めておられたのか。知らなんだわ(違う)
後の寧波の乱といい、室町期の日本は血気盛んすぎる笑
後漢時代に麻酔による外科手術をしたといわれる華佗や、何故か日本で絶大な人気がある漢方や瀉血などの東洋医学発祥の地である中国の医学史についての解説もお願いします🥺
朱元璋が猜疑心の塊になったのはこれが原因?
1386年なんですね
1836年だと清王朝になっちゃう。
@@占い猫おじさん 天保7年になります
朱元璋、何かがかわいいんだよなw
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます~!
大変励みになりまくりです……!!
ありがとうございます!
重ね重ねのご支援、まっこと感謝感激です!!
とっても嬉しいですッ!!!
前任の使者が殺されたと分かっていながら「次はお前が行け」なんて大変なお仕事ですね
しかも2回殺されているというね。「あんな蛮族の地に行くのはヤダ…。遠いし、海荒いし」って思ったんやろなあ
Thanks!
いつもご支援いただき感謝……大変感謝しております……!!
それはもう大変励みになっております!!!
こんな事件初めて知りました!いつ興味深い動画供給有難うございます。
いつか鳥人間さんの解説で九子奪嫡など拝聴したいです。
全く知らなかったです。勉強させていただきました。
それにしても、足利義満よりも前に明と通航して、しかも「日本国王」を僭称したのはいったい何者だったのだろうか?
懐良親王の名を騙った以上、朱元璋と南朝勢力との交渉を知っている人間であることは間違いないのだが…
どこを切っても関連動画が出てくる大きいチャンネルに育ったなあ
ホント。「夏王朝なんて無い」から見始めた身としては感慨深いです。
それは、ようつべ(というより裏に居るグーグル先生が)せっせとアナリステイクして貴方向けにカスタムした結果かと。私も同じですけども😊
違うか、動画コンテンツがたくさんになったねーという古参の方ならではの感慨ですね。なるほどにわかは反省します😅
この状態から日明貿易復活させた足利義満はすごいねえ
でもしょっちゅう倭寇対策迫られてましたよ。
明で二人の皇帝候補が争ってるって情報を聞き取った時、どちらが皇帝についても問題無い書状を持っていかせたというのは、あるいは本邦で南北朝で争ってた経験から思いついたのかもね。
足利義満の外交的成功は明側の兵乱が幸いしております。
靖難の変で血筋が正統の建文帝から帝位を簒奪した永楽帝にとって、
自らの権威付けや正当化が最大の課題でした。
そんな時に日本の王が”永楽帝の徳を慕って”使者を派遣したことが
永楽帝にとって僥倖でした。
これは両者にとって美味しい話でした。
日明貿易の巨利の為に外国の君主に頭を下げた義満と、朱元璋の遺訓を無視した永楽帝。
両者とも利に聡い者同士で上手くいったようです😅
後、当時の明が没落寸前だったのも大きい。
そもそも大陸王朝が安泰なのに必須事項に『日本との交易』が有るからな。
@@浅井優也
没落寸前なのに、それから200年以上も続いた凄い王朝、それが明。
朱元璋意外に忍耐強い。フビライだったら絶対日本に軍隊送ってたw
それ思った
知識人粛清しまくった農本主義者だし、対外進出それ自体を可能な限り避けたんじゃないかと
朱元璋不喜欢征服领土,最初朱元璋甚至不想要云南,是云南梁王骚扰明朝,朱元璋才征服云南。朱元璋对琉球也没兴趣。
@@schimitch3277なるほど🫡
元の使者も二回ほど斬られています。1回目が全員殺されたため情報が伝わってなかっただけです。
ひょっとして最後の使者こそ、追い詰められていた「本物の南朝側の使者」だったのかも・・・。
それ以外は相当な詐欺師と思われますね。
普通に良懐=懐良親王だと思ってた…!
そんな時期のズレがあったんだ……😱
倭寇なんとかしろって言われても倭寇を称する海賊もいたし、南北朝両側も困ったろうなあ
真倭が3割、偽倭が7割でしたっけ?
そんなに偽物がおったら室町幕府が全力上げて倭寇討伐しても成果は難しいでしょうね。
そもそも仮に倭寇とやらが全部和人だったとしたって
体制に従わないか従うフリしてこっそり賊行為してる田舎者なんて
近世以前の統治体制で完全統制できるわけねーだろってハナシ
というか大明様だったら自分とこの民のあらゆる違法行為を完全取り締まりできんのかよやってみろオイってハナシ
セリフで1869年となっているところがあり、年代をいうところのいくつかは1800年代になっています。1300年代ではないでしょうか?
カオスすぎておもろい
【誤作動でうっかり削除してしまったので再掲。コメント、いいねくださった方々申し訳ありません。】
ついに林賢に死刑判決が下った!
一方、懐良親王は明の権威によって発動する「日本国王」の称号を得る。
そして、明史に残された「良懐」の秘密とは!?
次回、明史太祖本紀、「胡藍と海禁文字の獄」、おたのしみに!!
まさかここでカフェde鬼の歌詞(?)を見ることになるとは
【続き】
こいつは背骨の無い男(皮剥草詰)(ハァ〜無い男ったら無い男(直球))
聖賢豪傑盗賊だ(バンバラバンバンバン!バンバラバンバンバン!)
女はすぐさま諫言し(う〜ん馬皇后!)
ウンジャラハゲジャラ食べチョロゲだんちょね〜(思考放棄)
脱中(華)の(冊封体制から)(しかし義満は日明貿易でちゃっかり利益を)ゲッツ!
今メシを喰った
もうハラが減った
今はちっちゃな鬼だけど、いつかは立派な鬼になる
北虜襲って命を奪い 生き血をすすって聖天子
まだまだ醜男な俺だけど いつかは立派な美形顔
群雄襲って露払い 儲けたマネーで民力休養
沛にはカラスと飢饉が多いから
安徽のお寺(皇覚寺)に潜伏中なのだ(口減らし)
ベランダづたいにお出まし錦衣衛(未来予知)
金毘羅船々「道」「光」書いたら修羅の群れ(ハァ〜修羅シュシュシュ(凌遅三千刀、滅九族))
今メシを喰った
もうハラが減った
今はちっちゃな鬼だけど、いつかは立派な鬼になる
孫(建文帝)の夫婦のいとなみを 冥府の底からアドバイス
まだまだちっちゃな箱(大明帝国の領域)だけど いつかは絶対ディナーショー(成祖盛世)
南倭襲って焼き払い 小脇に盗んだプランター(筋兜)
あしたもおたのしみに!(南明覆滅)
もうだいぶ前に奈良の国立博物館に行った時ちょうど日本と寧波との関わりをテーマにした展示やってたなー
10年ぐらい経つかなぁあの展示は面白かった
日本国王良懐なる者の存在がそこそこ不気味で興味深い
みんなの欲が集まって生まれたバーチャル日本国王なんじゃないかな。
良懐を逆さにするとあら不思議…
動画を見て初めて知った「日本国王良懐」がいったい何者だったのかがとっても気になるところです。
日本の南北朝の時代は京都と奈良(吉野)の対立のみ語られているところですので九州での対立はどうなっていたのか、改めて調べたくなりました。
筑後川の戦いなんて当時としてはものすごい大合戦なのに知名度ないよね
筑後川の戦いで勝利した懐良・菊池勢力が大勢力となり、それと睨み合う小弐、大友、島津の地方豪族、最後に京都から派遣された九州探題今川了俊が九州いりし、各勢力が入り混じり最終的に今川了俊が一応平定した流れですね。
一度は尊氏すら、鎮西(九州)に落ち延びてますからね。
@@dauny08細かいですが、了俊ですね
@@Yosakoi_akiko ああなんか書いた後違和感あったのそのせいか。なおしときます
いつ自己紹介のレパートリーが切れるか密かに楽しみにしてる
後年に明がそんな頻繁に朝貢くるなって言ってるのに来ちゃう日本や、異国なのにどちらが本物か喧嘩しちゃう大内と細川なども彷彿させられる事件だなあ。
実は最初から明はナメられっぱなしだったのかw
まあ当時の日本人が怖いもん知らずだっただけかもねw
しっかし明から見たら完全に「蛮族」だよなあ
15世紀半ば規定以上の回数と規模で朝貢してきたオイラートを抑えるため親征した英宗が野戦で捕虜になるという土木の変という中国史上、前代未聞の出来事に懲りたのが大きいのでしょう。
何か下手に出たらめちゃくちゃ金くれるぜこいつらって
足利義満が思っていたのは間違いない
冊封されてるが舐め気味
今回も興味深く拝見させていただきました。
日中関係史なかなか楽しいですね。
漠北や越南などと外交史にも触れていただけると幸いです。
明「ド田舎(日本)行ってらwww」
日本「田舎って言うな」
っていう新しい嫌がらせかと思った
この流れで寧波の乱の解説も聞きたいです。
一色、今川、菊池
さあ良懐を名乗った男子
先生怒らないから手を挙げなさい!え、直冬、、、まさかおまえが⁈
義経テムジン説の次はこれでおなしゃすw
我が国の伝統的外交スタイルは… 使者を斬る! しかし、明の太祖があそこまで我慢強く辛抱していたなんて知りませんでした。
明も日本もお互いに相手の実情を知らなさすぎというよりその努力さえしてない。まあ南北朝期の日本にそれを期待するのが無理ということか。
そんな動乱期にも相手情報をきっちりキャッチしてる義満っちゃんとかいうボンズのえぐさよ
やっぱり朱元璋は粛清しまくっても問題ないくらい能力が高すぎたんだろうな。やりすぎと言われるが悪は悪であったわけだし
>寧波
個人的にはフランスのカレーと同じくらい
「いつの文献にも出てくる港町」のイメージ
明王朝が出来た頃、朝鮮も日本も大混乱していた時代で、こんな事をしでかしていたのですね。。知らなかった。。。
また「方国珍」という人物も初めて知り、すごく興味深いと思いました!
是非、「方国珍政権」についてもいつか動画を作っていただきたいと思います🙏✨
12:54 1869年
良懐・如瑶の不遜ぶりへの対応と 懐良親王の使者への対応の対比が良い
中華思想の中心地で粛清皇帝から官憲にいたるまで激怒させる無礼(中華基準)な態度をとり続ける如よう強すぎる
朱元璋の予言は当たっているな、現に足利義政は貿易の利益を得ようとしたら超えてしまい規制されてしまったからな。
中世日本人の図太さは異常
そりゃあ足利直義や細川持之みたいな真面目な人は苦労するわ
謎の日本国王、一体何者なんだ?
一休さんのあの将軍😂
「懐良親王が使者を斬ったことに朱元璋がブチギレて日本征討を計画した」くらいのガバガバ認識だったんですが、一度は国交が結ばれるも動乱の中でお釈迦になってたりと、双方の直接のやり取りだけじゃなく国内事情がかなり影響してるんですね
海上の商人団は海賊に襲われても戦えるよう武装していたけど、逆に自分たちより弱そうな商人団を見つけた時には自分たちが海賊になっていたからな・・・。
国自体海賊みたいな、シュリービジャヤという国ありましてね…
政敵を外国のスパイとして処刑するのは割とあるあるですよね。あの中華史のレジェンド朱元璋にここまで日本に関心もってもらえてなんか嬉しいと感じるのは私だけでしょうか
日本に流罪がガバガバ過ぎませんか?
いやコレ、普通に考えて "日本国王良懐" は海賊のなりすましでしょ。如瑶も正式な僧侶とかじゃ無くて、海賊仲間で弁が立つヤツが頭を丸めてコスプレしてただけでしょ(笑)。そういう視点から掘り下げて見れば、何か面白い歴史ドラマが作れそうですね。
後の時代にやったやつが結構いるからねえ
林賢が倭寇だとして襲った日本使者帰廷用(これが日本人の名前?)の船も、実際倭寇の船だったんじゃないの?とか思えますよね
あの朱元璋が山師に振り回されてて少し笑う
影響受けた庶民は堪ったもんじゃないが
そんな時期にウチに海外大規模工作するほどの国力ねぇよ^〜
お疲れ様です、全く知らない話で面白かったです。私は
良懐=倭寇の一派
が一番すっきりするかな、でこの倭寇も結構根深いものになっていたと。
明初の情報不足がいろんな誤解や混乱を招いて結果こういう話が生まれたのでしょうね。
しかし今回も朱元璋バリエーションが凄いものですね(笑)まだあるのでしょうか?(笑)
倭寇の一部は、南朝方の西国大名が軍資金を得るためにやってた側面があるので、菊池とか九州の領主の部下とかじゃないか
態度悪すぎる外交僧とか人材としてレベル低そうなのも、しょせん田舎大名のお抱えと思えば符合するし
良懐は 今川了俊説,島津氏久説があるようですね
日本から見た日明貿易に対して知りたい人は餅は餅屋で日本史系の動画見ると良いかと
太田うしいちさんの明対義満あたりが詳しいかと
いやここはしかかくさんの
大内義興7作を参照すべき
いやいや、お二人とお仲間の、右京大夫政元さんの『寧波の乱と貿易戦争』もなかなかのものです😚
全部見ろ
@@Yosakoi_akiko
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激怒する朱元璋という(物理的)パワーワード
万历朝鲜战争时,明军俘虏了很多日本人,刘綎手下就至少有500日本人,参加了平播之役。
明視点でのこの「史実」はさすがに予想外。とても面白かったです。日本国王良懐かあ
正直よく分からない事件ですね。良懐なる人物は一体何者なんでしょうね。
こういうのを見ると、良くも悪くも史書を疑う目が養われるね。
もっとむかしの魏志倭人伝だって、さも筆者が日本を見て来たかのように書いているけど、たぶんみんな又聞きなんじゃないかとも思う。
「日本のこと調べて書け」って言われて、わざわざ本人が日本を訪れたりすると思えない。
どうせ下っ端に言ってくるように命令して、下っ端も適当に行ったふりして、実際は行ったことがある人に話を聞いただけだったりして。
そもそも正史というか、二次史料というのはそういうものだ。「三国志」編者の陳寿は、卑弥呼からの使者が魏の明帝に拝謁したとされる238年にはたった5歳であり、実際に関与出来たはずがないのは明らか。三国志にとって倭人伝など枝葉末節もいいところだけど、本編である三国鼎立の経緯も陳寿誕生前の話なので、情報源は陳寿自身の見聞ではなく、宮廷の記録や関係者からの聞き取りになっている。そういうものだと割り切って読めばなんの問題もない。
朱元璋が挑発されて激怒した話は、何故かわろてまう。😂
あの朱元璋に怖いもんなしの当時の日本の人々。てか朱元璋ってやっぱ元来我慢強い人なんやなって
そもそも、室町幕府は全国への統制力がとても弱い政権だった(初代将軍足利尊氏が自分に協力してくれた者たちに対して恩賞の領地を大盤振る舞いをしたため、地方の守護大名の力が強くなりすぎてしまった。)上に、南北朝の動乱の真っただ中だったため、当時の日本に倭寇の取り締まりをする力は無かったと思われる。室町幕府自体は倭寇を取り締まる意思はあったらしいが、無いものは無いのでどうしようもない…。しかも、この時代日本国内の治安も最悪で、無法人が大量にいた(有名な『二条河原の落書』に京都に限定しても無法人が大量にいたことが伺える。)ので、海に出て海賊行為を働いた無法人も大量にいて、彼らが倭寇となって明や朝鮮の沿岸部も襲ったという事でしょうね。
また、日本側としては「日本と中華王朝は「対等」であり、朝貢はいいけど、頭は下げないし、冊封も受けない。」という立場を取っていたので、周辺国と中華側が上の君臣関係を結ぼうとした明と大きなすれ違いが発生していたと思います。(そもそも、皇族である懐良親王が明の冊封に応じたという話も怪しい。あまりにもしつこいので、適当な事を言って、冊封を受けたという事にしてやった可能性もある。名前も良懐と間違えてるし。ちなみに、明史の日本伝は日本側からすれば無茶苦茶な間違いばかり書かれているらしい。)
明王朝、またの名をアジア系ハプスブルグ
ハプスブルクの顎をしてるから間違いない
long long ago…
アゴしか見とらんやんけ!
アゴヤバいのは初代だけなんだよなあ…
@@すずのすけ-j1k巨Chinなんだよなぁ
楽しく語っていくぞォ~➡で明初が出るあたりもう血の匂いがする
学校では絶対に教わらない、貴重な歴史・・・もうびっくり😳😳😳
動乱の時代終わった割にはその後も内輪でごったごたしとるよな日本
永楽帝「太祖の祖訓か…」
ちょくちょく年を間違えてるけどうっかりなのか疲れが溜まってるのか…
魏志倭人伝の記述から、ガチに邪馬台国論争をやってる人たちのことが、とても心配になります😱
『俺の青春、俺の人生は一体、なんだったんだ!!』
寧波…あの秀吉が大阪の次に本拠地に狙った場所ですな
今時のニューヨークみたいな場所かな
13:00辺りの明の使者と懐良親王の話、日本史で必ず出てきますねー
中国史側で聞くと新鮮で楽しい
天下のNHKによると「卑弥呼の邪馬台国は呉を攻めることを期待されたので日本国王に任じられた」らしいから、南北朝日本が明の転覆を企てても何もおかしくないな(白目)。
その呉の方も同時期に日本を目指して軍勢派遣してるのが面白いな。
@@nekono_mimikon まあ、呉は強力な水軍を持っていて、海路で公孫淵に1万の友軍を送ったりできるくらいでしたからね。そんな呉ですら、日本(台湾?琉球?)遠征は大失敗してるんで、それだけ海外遠征は難しい。
@@とまにゃ
遼東に軍船派遣するぐらいだから徐州や青州の沿岸の漁村なんかはしょっちゅう掠奪されてただろうね
お前達、何者だ!
僧だよ(便乗)
というやり取りがあったのかもしれない()
朱元璋、かなり我慢してたのに報われたなかったのがかわいそう
沖縄の伝説的パンクバンドの
名前の由来となった歴史的事件ですね。ローザルクセンブルクとか遠藤ミチロとか
クレイジーリンケンバンドとか(マンデラエフェクトかな
明の豊臣秀吉に関する記録もすごいんたよナア
当時の日本人フリーすぎるな
三国志演義とか見てると南蛮民族や北方騎馬民族の無礼さにイライラしてくる事あるけど、なるほど…見方を変えるとこれは洪武帝が日本に対してイライラするのが良くわかるわw
反面、礼を要求する中国がかえって「無礼」と、匈奴など歴代遊牧民は見てましたよ。
@@FREEDOM-vv3wu すれ違い〜〜
@@FREEDOM-vv3wuなるほど、価値観のぶつかり合いですね
やっぱビックマム馬皇后の慈愛によるところが大なのかな忍耐忍耐断交
初めて朱元璋を可哀想と感じた
1:28
明代初期の1836年 ?
ご指摘いただきありがとうございます!大変助かります!
まってた
大塔宮(護良親王)といい、南朝の後醍醐天皇の皇子は大半が反逆だらけ(ただし北朝に行ったわけではない)でしたね。
私は日本史もしらなかったーすごく楽しかった、日本国王、倭の海賊、すごすぎでした。ありがとうございました。
オレオレ詐欺みたいな貿易だなぁ……
12:51 これは明治2年
この顛末を知って、朱元璋が忍耐強く感じられました。
それと、日本に流罪は日本人の立場では奇異に感じます。
でも、時代劇でしばしば聞く「江戸十里四方所払い」を思い起こせば、然程不自然でもない気はします。
「宋人街があったのは有名ただよな」
「ほーん(はなほじ)」
理系の世界史Aでは明は飛ばしたんだよな😥
もしも南朝が明と組んで、足利方を倒したらすごかっただろうなぁ
現代でもニューアーク市と姉妹都市契約結んじゃった偽国家“カイラサ合衆国”の例があるように、国家間の関係も割とガバガバだったんでしょうね。
(今の)日本人には結構な人気者の朱元璋だけど、バキバキに日本を嫌ってるのが面白哀しいですね。
朱元璋の怒りの表情と笑顔の表情を見てみたい。
どれほど差があるのか⁉️
日本国王、無礼だなぁ(棒)
やっぱり朱元璋はキリングモードの時が本領発揮していいる
りんけんバンドの『照屋 林賢』が出てくるかと思ったら出なかった。
流石に不謹慎かとw
ですね、ハヤシケンのところに林賢さん貼って欲しかったやいびーんな
馬皇后「日本国王を許してあげて!」
怒らせちゃダメだ
中国で動乱が起きてる時に、日本でも動乱が起きてたんだな。これがシンクロニシティ
気候変動が遠因になって動乱が起こったりもするので、それが世界的規模のものだったりすると東洋と西洋で同時期に大規模な動乱が起こることだってあるんですよねえ
単独の事例がそういうものでつながっていくと面白いです
@@mgnt16有名所だと、
ゲルマンの侵入と西ローマの滅亡
五胡の侵入と西晋の滅亡は構図がよく似てるみたいな
晴海トリトン近くで居酒屋やってますんで飲みに来ておくれやす(笑)
「林賢事件の真実」民明書房刊
何!?知っているのか、雷電!!
Pirates of the East China Sea Ep1 皇帝の陰謀
突っ込みどころだらけで…
言うのも野暮ですが、雲南に送られた日本人精鋭400人は、その後どうなったんですか?
どうなったんか気になりますよねえ。「とりあえず雲南送りってことにしとくか…。実際来てないけど」みたいなかんじで作り話したんかなあ
15:00 このあたりで鄭和が渡来してたと思われる
良懐って、どこの正式代表というわけでもなく、精々一介の大名か、それに近い勢力があった倭冦が日本国王と偽って明に入貢してたんじゃないのかなという気がします。
なんか、それに関して思い出したのが、正統竹内文書の武内睦泰こと「ムッチャん」が「これ嘘だと思うんすけど、うちの文書(室町初期)で良懐って懐良親王でさらに懐良親王って対馬で海賊してたらしいんですよね。倭寇の収支報告がうちの家にあるんすよ。絶対偽物かもしれんけど、」と言ってたな。
南北朝時代と云う乱世であれば、「日本国王」を偽ったつもりはなかったかも知れません。
「日本国天皇」を名乗ったのなら偽りでしょうが。
薩摩も琉球を利用して密貿易してたし、中国からの輸入は儲かったんだろうな。
いくら内戦中とはいえ滅茶苦茶な外交し過ぎでしょ日本さん…結局良懐さんって誰なん
漫画ラノベアニメ早よ😅
懐良親王が江戸末期までタイムトラベルしていたとは😮
1869年!!そうか!!懐良親王様は幕末にタイムスリップして九州を治めておられたのか。知らなんだわ(違う)
後の寧波の乱といい、室町期の日本は血気盛んすぎる笑
後漢時代に麻酔による外科手術をしたといわれる華佗や、何故か日本で絶大な人気がある漢方や瀉血などの東洋医学発祥の地である中国の医学史についての解説もお願いします🥺
朱元璋が猜疑心の塊になったのはこれが原因?
1386年なんですね
1836年だと清王朝になっちゃう。
@@占い猫おじさん 天保7年になります
朱元璋、何かがかわいいんだよなw